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武家屋敷跡 野村家は行く価値あり!加賀藩士の息吹を感じてみては?

武家屋敷跡 野村家 玄関 金沢

 

金沢の特徴のひとつとして挙げられるのが、武家文化が残されているということ。

 

当記事では、金沢観光初心者の方向けに、加賀百万石を支えた、加賀藩中級武士の文化をうかがい知ることができる「武家屋敷跡 野村家」の見所を紹介しています。

 

「武家屋敷跡 野村家」は、ミシュラングリーンガイドで、兼六園に3つ星に次ぐ、2つ星を獲得。

特に庭園の評価が高く、海外からの観光客も多く訪れる場所となっています。

 

武家屋敷跡 野村家の庭園をおすすめするこれだけの理由

 

でも、「武家屋敷跡 野村家」は庭園だけではなく、所蔵品も加賀藩中級武士の文化を伝える逸品ぞろい。

 

金沢観光初心者で、どこを観光しようか悩んでいるあなた。

是非行ってみてはいかが?

 

加賀藩 野村家とは?

 

加賀藩初代藩主 前田利家の直属の家臣として、利家の金沢入城の際に付き従った野村伝兵衛信貞から、加賀藩 野村家はスタートします。

 

一番槍を果たした末森城合戦の際に野村伝兵衛が着用した甲冑

加賀藩では大名の護衛や事務取次を行うエリート職である御馬廻組組頭や各奉行を歴任。

加賀藩で千二百石まで昇進します。

 

野村家は、エリート中級武士として、加賀藩に仕えた家柄なのです。

 

武家屋敷”跡”野村家であって、武家屋敷ではない!?

 

武家屋敷”跡”野村家は、わざわざ”跡”がついていることに気付きましたか?

これには意味があります。

 

実は、現在公開されている野村家は、武家屋敷がそのまま残っている訳ではないんです。

 

往時は約1,000坪(3,300㎡)の広さがあった野村家の屋敷は、明治時代の武士の身分制度の崩壊により、土塀・古木・曲水の一部を除いて、取り壊されています。

 

武家屋敷”跡”野村家は土塀・古木・曲水の一部を除いて、移築されたもの。

現在、公開されているのは、大聖寺藩の北前船主 久保彦兵衛の離れ(御殿の間)が、野村家の敷地に移築されたもの。

 

元の久保彦兵衛の御殿には、大聖寺藩主がたびたび訪れていたそう。

その為、移築された武家屋敷”跡”野村家には、武家屋敷なら存在しない「上段の間」や「謁見の間」が存在しているんです。

 

久保家から移築されたため、武家屋敷には本来存在しない「上段の間」や「謁見の間」がある。

明智光秀からの書状が目の前に

 

いくら武家屋敷”跡”で加賀藩の中級武士の息吹を感じられるといっても、やや地味な印象であることは否定できません。

 

でも、歴史上の人物に関わるものがあれば、胸躍りますよね?

武家屋敷”跡”野村家にも、歴史上の人物に関する展示品があります。

 

武家屋敷”跡”野村家の「鬼川文庫」という資料館には、野村家に伝わる刀剣や書状が展示公開されています。

そこでは、主君 前田利家からの書状の他に、明智光秀からの書状も展示公開。

 

明智光秀からの感謝状が展示公開されている。

本能寺の変で歴史を動かした人物からの書状を目の前に。

本の中で知るだけだった歴史上の人物を生々しいリアルな存在として感じられます。

 

沖田総司も佩用 刀工 加州清光の刀剣を常設展示

 

金沢が加賀百万石の藩都として栄えたのは、徳川泰平の世となってから。

 

加賀藩の藩士たちも泰平の世になってからは、戦をする機会がなくなり、文官としての役割が大きくなっていきます。

とは言え、藩士たちは、武官兼文官であり、本質的には武士。

 

その武士の魂とされるのが、「刀」。

 

加賀藩でも武士の命は刀であることは例外ではない。

加賀国では、室町時代末期に、加州清光(かしゅうきよみつ)という刀工が誕生しています。

 

中でも、加州清光の6代目は非人清光(ひにんきよみつ)と呼ばれ、刀剣の政界では高名。

加賀藩の貧民救済施設である非人小屋で鍛刀したことからこの名で呼ばれ、加賀藩からは藩主 前田家の家紋である梅鉢の使用も認められています。

 

写真提供 金沢市:旗指物の家紋が前田家の梅鉢。

この加賀の刀工 加州清光を、新選組の沖田総司が所有していたとの記録があり、池田屋事件の際に使用していたとも言われます。

 

ちなみに、沖田総司の加州清光は、池田屋事件の際に刃先が折れ、修理に出されたものの、修理不能として返されたとの記録も。

その後は、所在不明に。

 

新選組の沖田総司が、加州清光を所有した記録が残る。

沖田総司が佩用した刀と同じ刀工 加州清光の脇差を野村家では常設展示。

金沢市内で、加州清光を常設展示しているのは、ここ「武家屋敷跡 野村家」だけです。

 

野村家では、加州清光以外の刀剣も展示されています。

なまめかしささえ感じられる、武士の魂でもある加州清光をじっくり鑑賞されては如何ですか?

 

狩野派 最高位絵師の襖絵を堪能

 

野村家の上段の間には、狩野派の絵師 佐々木泉景が手掛けた、襖絵の山水画があり、加賀藩最高画人の作品を観ることができます。

 

佐々木泉景は、金沢城 二の丸御殿の障壁画の制作に参加しています。

 

金沢城 二の丸御殿は、藩主の住まいと政務が行われていた場所で、いわば金沢城の中枢。

泉景は、その二の丸御殿の障壁画の作成の際には、他の絵師よりも飛び抜けて多くの場所を担当した記録が残っています。

 

加賀藩 最高絵師 佐々木泉景による上段の間襖絵

 

上段の間には立ち入ることが出来ません。

後に泉景は、加賀藩のお抱え絵師となり、法眼位として厚く遇され、加賀藩の画人の最高峰に登り詰めます。

 

金沢城の中枢の障壁画の作成も担当した、加賀藩最高峰画人の襖絵を間近で鑑賞してみては如何ですか?

 

野村家で「座れば牡丹」を実感

 

野村家には、北前船の船主 久保彦兵衛の豪邸から移築された「謁見の間」という部屋があります。

 

武家屋敷跡 野村家 謁見の間

その謁見の間には、白牡丹を大胆に描いた襖絵があり必見です。

思わず、座ってずっと眺めていたくなるほど程。

 

山口梅園による、白牡丹を大胆に描いた襖絵

描いたのは、大聖寺藩藩士 山口梅園。

※大聖寺藩:加賀藩の支藩。加賀藩第3代藩主 利常が隠居の際に、三男利治を藩主として立藩。

 

襖に白牡丹が咲き乱れ、牡丹の花言葉の通り、正に「富貴」のたたずまいを感じることが出来ます。

 

牡丹にちなんだことわざで「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」というものがありますよね。

この言葉は一般的には女性の美しさを花に例えたものです。

 

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花は女性の美しさを例えたことわざ。

一方で、このことわざは、芍薬は立って、牡丹は座って、百合は歩きながらが、一番美しい花の姿を見ること出来るということを由来にしているといわれることも。

 

白牡丹が咲き誇る野村家の襖絵も、座って眺めると一層美しく感じられると思います。

 

座れば牡丹を堪能してはいかがですか?

この襖絵を描いた山口梅園が生きた時代より前のことわざ辞典には、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」が記載されています。

 

ひょっとしたら、山口梅園もこのことわざを意識していたかも?と考えると座って眺めたくなります。

人が多いときには難しいですが、人が少ない時には、少し座って鑑賞してみては如何?

 

「座れば牡丹」を実感できる野村家の襖絵。必見です。

 

寺島蔵人邸とあわせて巡ってみては?

 

金沢では、江戸時代の中級武士の家屋、庭園などの様子を伝える武家屋敷が野村家以外で一般公開されています。

 

金沢市指定文化財の寺島蔵人邸です。

 

金沢で一般公開されている武家屋敷 寺島蔵人邸

先ほど、野村家の白牡丹の襖絵は、山口梅園という大聖寺藩士が描いたと紹介しました。

山口梅園は、「浦上春琴」という画人に師事し、絵画を学んでいます。

 

浦上春琴の父親は、「浦上玉堂」という人物で、その玉堂は金沢を訪ねているんです。

その時に「浦上玉堂」と親交を結んだのが、寺島蔵人。

 

【武家屋敷】金沢では野村家だけではなく、寺島蔵人邸もチェック

武人であり文人でもあった寺島蔵人。金沢で公開されている武家屋敷 寺島蔵人邸も是非訪れてみては?

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鼠多門と鼠多門橋の復元で、武家屋敷跡からの金沢城へのアクセスが良くなりました。そんな鼠多門を紹介しています。

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玉堂は、川端康成が所蔵した 国宝「紙本墨画凍雲篩雪図」を描いています

 

国宝「紙本墨画凍雲篩雪図」は文化庁 文化遺産オンラインを参照ください。

一方で、玉堂は七絃琴という琴を愛し、演奏だけでなく、作曲や琴を製作したりしています

玉堂の長男が春琴、次男が秋琴という号を持つことからも、玉堂の琴への愛情は並々ならぬものが感じられます。

実際、玉堂は画を描くことよりも琴の方に関心が深かったそうです。

 

※七絃琴:中国の伝統楽器。諸葛孔明も演奏し、菅原道真も学ぶ。

 

寺島蔵人邸には、玉堂がその琴を弾いたとされる庵と玉堂の画が残されています。

 

寺島蔵人邸で浦上玉堂が琴を演奏したとされる庵は玉琴の間と名付けられている。

金沢にお越しの際には、野村家だけでなく、寺島蔵人邸もセットで巡ってみるのがおすすめです。

加賀藩士の武人だけでない文人の側面を垣間見ることが出来ます。

 

まとめ

 

野村家武家屋敷”跡”というと、ミシュランで2つ星を獲得した庭園がとかくクローズアップされがち。

 

でも、庭園だけでなく、所蔵品も一見の価値ありです。

 

加賀藩士の武人と文人の両面の様子をうかがうことが出来る、武家屋敷”跡”野村家。

 

金沢初心者に是非見て欲しいおすすめスポットです。

 

アクセス

 

北陸鉄道バス:「香林坊」バス停 徒歩5分

 

料金・営業時間・定休日・駐車場

 

料金

大人:550円

高校生:400円

小中学生:250円

※抹茶料(干菓子付):300円

営業時間 8:30~17:30(4月~9月)

 

8:30~16:30(10月~3月)

※入館は閉館の30分前まで

定休日 12月26日、27日
駐車場 6台

 

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