どうも、ふぃじこです。
北陸新幹線が開業して以来、知人から質問されることが多いんです。
「今度、夫婦で金沢に行くんだけど、どこに行けばいい?」って。
そんな時に、必ず最初に行くことをおすすめしている名所とその訳を今回はお教えしますね。
金沢観光のスタートは尾山神社がおすすめ
金沢がある石川県の地元民で知らない人はいない尾山神社。
初詣では例年20万人が参拝する石川県ではメジャーな神社です。
御利益は、商売繁盛・家内安全・子宝・必勝となっています。
金沢の街は武家文化
金沢で観光と言えば、兼六園や長町武家屋敷跡など、庭園や古い町並みが最初に浮かばないですか?
これらは、京都の公家文化とは異なる武家文化に根差しています。
その武家文化の成り立ちを知っていると金沢の観光名所の見方が深くなるし、古い町並みも楽しめます。
金沢の始まりは前田利家から
今の金沢を特徴付ける武家文化は、前田利家の金沢入城から始まります。
前田利家は、律義者として有名で、自らの家臣だけでなく、他の歴戦の武将たちからも人望を集めていたそうです。
ひとによっては、石高は徳川家康の方が利家より大きいが、人望は利家の足元にも及ばないともいいます。
この律義者の前田利家を藩祖とする加賀藩主前田家を中心に、今に残る長町武家屋敷や兼六園が出来ました。
この前田家家臣たちの武家屋敷が残る長町(ながまち)という地名も前田家に縁があるんです。
金沢の存亡の危機を救ったのはまつ
1599年に前田利家が亡くなったあと、金沢がある加賀藩の存亡の危機を救ったのが、妻まつ。
このまつは利家との間に2男9女を産んでいます。11人もの子供をもうけたのは、戦国時代でも珍しい例だそうです。
まつは加賀藩に謀反の疑いをかけられた際に、人質として江戸に上り、14年を過ごします。
江戸にいる間も、関ヶ原の戦いで石田三成側についた次男の赦免を江戸幕府に願い出たりして、前田家の存続に奔走します。
尾山神社は利家とまつの夫婦を祀る
元々、利家は明治時代の廃藩置県までは別の場所で、他の神様と合わせて祀られていました。
利家の長男利長は藩祖利家を単独で祀ろうとしますが、前田家は徳川家からすると外様大名。
公然と祀ることを勝手に行うことは出来なかった為、他の神様との合祀となっていたんです。
廃藩置県後の1873年、江戸幕府への遠慮がいらなくなった旧加賀藩士たちが集まり、藩祖前田利家の偉功を守ろうと、今の場所へ新築したのが尾山神社。
前田利家の人徳の厚さが270年後も脈々と受け継がれていたんですね。
そして、1998年にまつも合わせて祀られるようになります。
つまり、今の金沢の礎を作った利家とまつ夫妻を祀っているのが尾山神社なんです。
だから、尾山神社に参った後に、他の名所を巡ることをおすすめしているんです。
ただ、観光するよりも何らかのストーリーがあった方が面白くないです?
金沢城、兼六園に行く前に立ち寄れます
尾山神社を始めに巡ることをおすすめするのは、武家文化のストーリーをたどるというだけでなく、
ロケーションも好都合という理由もあります。
尾山神社は、元々、金沢城の出丸があった場所で、金沢城の一部。
以前は、尾山神社は鼠多門橋で、金沢城に渡ることが出来ました。
ということは、尾山神社から金沢城、金沢城に面した兼六園も遠くない位置にあるということです。
この点も、まず尾山神社に最初に巡ることをおすすめする理由なんです。
尚、鼠多門橋は、鼠多門とともに、2020年を目標に復元される予定です。
尾山神社からの回遊性が高まることが期待されます。
まとめ
いかがでしたか?
金沢の古い町並みは武家文化に基づいています。
金沢の武家文化の基礎を築いた利家とまつを祀る尾山神社を金沢観光のスタート地点として、金沢の武家文化のストーリーをたどってもらうことをおすすめしました。
まず、尾山神社にて、利家とまつに挨拶し、武家文化の出発点とします。
その後で金沢城、兼六園、長町武家屋敷跡という順番で回れば、藩祖、居城、庭園、家臣の屋敷跡と順を追って巡ることが出来ます。
金沢のように、歴史に根付いている都市を観光する際には、事前に知識を頭にいれた上で、ストーリーを描くと重層的な大人の楽しみ方が出来ると思いますよ。
尾山神社
アクセス
タクシー:金沢駅から7~8分
バス:北陸鉄道バス 南町バス停下車 徒歩3分