金沢・北陸の音色">
金沢観光の定番のひとつに数えられる金沢城。
その金沢城には天守閣がありません。
現在、金沢城に残されたり、復元されれたりしているのは、櫓・長屋・門などになります。
天守閣がない金沢城の何を楽しめばいいのか、いまいち分かりにくいと思われるかもしれません。
そこで、今回紹介させて頂くのは、金沢城と金沢にゆかりがある「門」。
この「門」は昔からそのまま残っているものやこれから復元されるものなど、特徴がそれぞれあります。
各門の特徴を知っておくと、金沢城の楽しみ方が一味違ったものに。
そんな金沢城と金沢にゆかりがある「門」をカテゴライズしてご紹介。
門だけに入門編ということで・・・。
金沢城三の丸を囲む主要な3つの城門を三御門と言います。
兼六園に向かって建っているのが、石川門。
現在は、兼六園と向かい合っている為、金沢城の玄関のような雰囲気ですが、元々は、搦手(からめて)という裏口にあたる門。
1759年の火災により焼け落ちますが、1788年に再建。
それ以後、修理を重ねて現在にいたります。
金沢城に当時から現存する唯一の門で、国の重要文化財。
・石川門の見どころ
左右で異なる積み方をしている虎口(こぐち)壁面の石垣。
※虎口:城の出入り口
金沢城内で、二の丸への正門として機能し、一番格式が高い門。
二の丸にあった御殿は、天守閣がない金沢城内で、藩主が執務、居住する最重要の場でした。
橋爪門は、その二の丸にいたる最後の門。
三御門の中で、通行するのにもっとも制限が厳しかったそうです。
・橋爪門の見どころ
戸室石を敷いた橋爪門二の門の床。
藩主が執務した二の丸御殿には戸室石が敷かれていました。
橋爪門二の門の床は御殿と同じ敷き方をされていたそう。
御殿と同じと言うことは、橋爪門はそれだけ格式が高い扱いをされていたということです。
※戸室石
高級石の一種。金沢市郊外の戸室山・医王山・キゴ山で採れる。金沢城の石垣・兼六園の庭石・金沢市内を流れる辰巳用水の石管に使われている。
明治時代に取り払われるまで、実質的な金沢城の正門の役割を果たしていた門。
参勤交代の出立時や、大切な客人を迎えるさいに使用されました。
・河北門の見どころ
河北門二の門。
外観は石川門二の門のほとんど同じですが、大きさは石川門二の門よりも一回り大きい。
金沢城には、昔の資料を元に、伝統技術を使って復元された、もしくはこれから復元される門があります。
2020年完成を目指して、復元工事中。
金沢城と尾山神社に架かる鼠多門橋も同時に復元されます。
鼠多門は、金沢城と藩主の側室や子供たちが暮らしていた金谷御殿(現尾山神社)に通じる門。
鼠多門橋が、金沢城と金谷御殿の間を渡していました。
1759年の宝暦の大火後、1772年再建。
この再建された河北門は、1882年(明治15年)頃に撤去。
2007年に復元工事が始まり、2010年に完成。
復元三門の内、一番早く復元されたのが、河北門。
1772年の姿を復元。
釘などを使用しない日本古来の仕口・継手の技術で復元。
使用している木材は国産のみで、その内約60%で能登ヒバや石川県内産の杉を使用。
※能登ヒバ
ヒノキアスナロの地方での呼び名。天然では能登に存在しなかったヒノキアスナロを能登に造林。生育する気候が偶然合い、今では輪島塗の素地に使われることも。
1808年の火災後、1809年に再建。
その再建された江戸後期の姿を復元。
2001年に橋爪門一の門を復元。
橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓も同時に復元。
2015年に橋爪門二の門・桝形二重塀を復元。
河北門と同じく、釘などを使用しない仕口・継手の技術で復元。
使用している木材は国産のみで、内約55%で能登ヒバや石川県内産の杉を使用。
金沢城及び金沢にゆかりがある門で、色の名前が付けられたものがあります。
実はあの門も、金沢とゆかりがあるんです。
石川門の別称。
ちなみに、中央大学のことも「白門」と書きますが、読みが異なります。
中央大学の方は「はくもん」といいます。
石川門は真っ白な壁と、白い海鼠壁(かまこかべ)が印象的で、白門の名前にふさわしい門です。
また、屋根も冬でもないのに、うっすらと雪化粧したかのように白く見えます。
この見目麗しい白い屋根は、鉛瓦が使われていることによります。
これは、鉛瓦の鉛が二酸化炭素・水分などに反応して起きる鉛白(えんぱく)という現象によるもの。
その為、石川門は白を基調とした、見目麗しい姿となっているのです。
実は、この鉛瓦は、石川門だけでなく、金沢城の櫓や塀などの建造物全てに使用されています。
鉛瓦は江戸城天守閣の屋根にも使用されていたという記録があります。
が、城内のすべての建造物に鉛瓦が使用されているのは、日本では金沢城だけだと言われています。
前田利家の金沢入城までは、大手(表門)とされていた門。
江戸時代には、西丁口門と呼ばれていました。
黒門と呼ばれるようになるのは、明治時代以降。
現在、門は残されていません。
門址前に、黒門前緑地として、金沢にゆかりがある高峰譲吉の実家の一部が移築・公開されています。
金沢 穴場の観光スポット 金沢城~近江町市場の間にある【黒門前緑地】
この赤門は金沢にはありません。
あるのは東京の東京大学。
そうです。あの赤門です。
東大の赤門は、金沢がある加賀藩と深い関係があります。
東大の赤門は、元々、加賀藩の上屋敷の御守殿門(ごしゅでんもん)と呼ばれる門。
※上屋敷:参勤交代時の江戸での大名の居住地。
御守殿とは、三位以上の位階が高い大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称であり、住んでいる奥御殿も指す。
その奥御殿である御守殿の門を御守殿門といいます。
この御守殿門は朱塗りで建てられること。焼失したら再建は許されないという慣例がありました。
13代加賀藩主 前田斉泰(なりやす)が、1827年に徳川11代将軍家斉(いえなり)の娘である溶姫(ようひめ)を正室に迎えた際に、御守殿門を建立。
加賀藩上屋敷の御守殿門は、江戸時代の焼失を免れ、その後の震災や戦災でも焼け落ちずに、今の東大の赤門にいたります。
天守閣がない金沢城でも、注目ポイントを変えれば、楽しめる要素はたくさんあります。
今回は、その中で「門」に注目してご紹介させて頂きました。
金沢城へ行った際には、これらの門に是非注目してみて下さい。
それでは、今回はこのへんで。
是非、金沢・北陸を好きになって下さい。
【バス】
・兼六園シャトル・北陸鉄道路線バス:停留所 「兼六園下・金沢城(石川門向かい)」
・城下まち金沢周遊バス右回りルート・:停留所 「兼六園下・金沢城(石川門向かい)
・城下まち金沢周遊バス左回りルート・北陸鉄道路線バス:停留所 「兼六園下・金沢城(白鳥路前)」
【車】
・兼六駐車場:普通車482台 24時間営業 最初の1時間350円、超過30分毎150円 20:00~翌8:00 1,030円